ターンテーブルつまりレコードプレーヤー。なるべく購入は避けるつもりでいた。その大きさのために場所をとるLPは蒐集癖のある私にとっては部屋のスペースを確実に少なくするだろうと想像された。
が、このたび晴れて購入してしまった。アンプを換えてスピーカーケーブルを買い換えていい音になったのをいいことにさらなる投資をすることに対す躊躇がなくなってしまった。写真はこのたび購入したDENONのターンテーブル。品番はDP-500M。まぁ中級機といったところか。
レコードの盤自体は実は数枚所有していた。数年前にふとレコード屋を訪れた際に"5枚で1,000円"みたいなセールをしていてかっこいいジャケットのとか好きなレコードとか10枚ぐらいを購入したからである。部屋の隅っこで飾り物にもならず酷い扱いを浴びていたレコードたちであったがようやく日の目を浴びることになった。
ターンテーブルを購入したのは実はもう1ヶ月も前の2月15日のことである。以来はCD:レコードの割合は2:8ぐらいでほとんどCDを聴かなくなってしまった。
なんでだろうな。こんなにレコードにいい音が入っているとはとてもじゃないが想像していなかった。CDとレコードと比較して科学的に検証するには私にはいかにも知識不足である。だが少なくともレコードの音質が悪くないことはこの1ヶ月に拙宅を訪れた友人が皆賛同するところであった。加えて私にはレコードの音がどうもアーティキュレーションとかデュナーミクとかがリアルに再現されているように感じられる。だから聴いていて自然に入り込めてしまう。最先端の音響学をもってして建築されたホールが意外と音が悪かったりするのと同様であろうか、科学技術の粋を凝縮して作られたCDがレコードと優劣つけがたく、ひょっとすると負けてしまう。CDの名誉のために言えば、同じ録音を聴き比べてみるにレコードよりも
いい音質が記録されているCDが存在するのは確かである。だが―――とりわけ最近の劣悪なリマスタリングが施されたCDにおいて顕著なのだが―――レコードよりも圧倒的に音質の悪いCDが店頭に並んでいることも同様に確かなのである。技術的には進歩したと証明されるかもしれぬが…私は次の言葉を思い出す。
「うっそうたる樹林や奇岩のむきだしになった山は、古来から神が降臨し、死者の霊が赴く他界や聖地だと思われてきたけれども、一人で山歩きする者はそれが信仰でも幻想でも何でもなく、ただの厳かな事実であることに思い到るであろう」(鎌田東二『場所の記憶』岩波書店)
CDにせよLPにせよコンサートホールにせよ音楽という一つの芸術を扱うものである以上は、厳粛な感動を伝えうるかどうかというただその前提こそが、科学技術の正当性を証明するということになるのだろう。